ADHDでも自由に生きれる
私は診断はついていないけど、きっとADHDとASDだと思う。
そのために二次障害としてうつ病を発症したのではないかと推測している。
何故かというと、幼いころから母親が私の育て方について頭を抱えていたからだ。
周りと同じように行動できない、マイペース過ぎる。
学校の成績は中間より悪いぐらいがアベレージ。
数学は大嫌いで5段階中だと1。英語は5段階中で5。(中学のときのみ)
理科の中でも星座やら月の分野になると100点満点。
でも数字が入ってきたりすると0点に違い。
体育大嫌い。家庭科の調理系は大嫌い、裁縫は大好き。
協調性があるようで全くない。無いようで結構ある。人によって見方が違う。
学生の時はほぼ協調性なんかなかった。生きづらい。
でも、何故か周りに人はいた。今でも不思議。
社会に出てからは協調性が感じられないようで実は努力さえすれば協調性はある。
人に合わせることが好きではないけど、十分に可能。
よく人から機嫌が悪いように見受けられるけど、本人はその気は全くない。そのため、誤解されやすい。
小学校低学年の頃は部屋が散らかってて、物をどこにしまったか全くわからないことが多くて忘れ物が多かった。
毎日遅刻していた。
こんだけ酷い状態だったけど、年を取るにつれて、段々と今までの状況が嫌になって、自分なりに改善したことは多数ある。
例えば、人に機嫌よく見えるようにする。
例えば、部屋が散らかるのが嫌だから物の住所を決めて、常に整理整頓しておく。
物を少なくしてしまえば、掃除がしやすいから断捨離をする。
治せるところは治してきた。
でも一つ間違っていたことがある。
社会生活を送るうえで、確かに相手と歩み寄ることは大事なんだけど、他人に合わせることが過剰だったと認識している。
今は少しマイペースに戻ってきたけど、自分の個性を潰してまで相手に無理矢理合わせる必要は無い。
特にプライベートで私はよく個性を潰されることがあったので、「あれやこれも好きではいけないんだ…」ということまで考えていた。
でもその人が何が好きであろうと犯罪でなければ、むしろ立派な個性だと思うし、他人に踏みにじられることがおかしいと思う。
その個性を潰して自分の意見が正しいと主張してくる友人や知人は、きっと「私のため」を思って私に「忠告」していたんだろうけど、実はその人の「言いなり」でしかないんだよね。そもそも友人でもない。
よくYouTubeでADHDの動画を見るけど、本当に個性があって、多少であれば許されることばかりだと思ってしまう。
何でもお互いに歩み寄る姿勢が大事だと痛感する。
でも、我慢できないところは優しく伝えてあげるということも、その人の成長にとって大事だよね。
発達障害だろうと何だろうと、社会生活を送れている人が大勢いるのだから、気に病んでたり、発達障害のせいで本当に「障害」だと認識している人は、「武器」だと思えば良いと思う。
私は「THE 天然」だと思われたら、ラッキー♪と捉えるようにしてて、そこから本領発揮する。
よく完璧な人間だと思われることが多いから、欠点があると思われて接する相手に取って安心して対応してもらえたら、信頼性につながるからね。
そこまで大抵、最低でも1年は時間を要することにはなるんだけどね(汗)
何事もすぐに結果を出すのは難しいけど、出来ることからコツコツと少しずつ自分に取って最善の社会生活の送り方を考えて、実践していこう。
自分の意志を明確に生きる
私達は日本に産まれて、ある意味社会の奴隷になるように教育されてきた。
良い高校や大学に入るのは勿論、大企業に就職して、良いパートナーと結婚して、子供は2人位居たら幸せ。
仕事は長く勤めて、役職が就いて、部下に教える様になる。
定年が来たら退職して、年金で趣味でもしながら生きてく。
ここまでの人生のプロセス自体もそうだけど、日々の日常も洗脳されてると思う。
新聞、ラジオ、雑誌、テレビ、ネットニュース…暗い話題ばっかり。
私は不必要なニュースに頻繁に触れたくないからテレビはとっくに手放してる。
勿論、新聞も取らない。ラジオは好きな番組だけは聴く。雑誌も興味があって本として家に置きたいものは買う。
現代人は幼い頃からの教育や日々暮らして来た中で、同調圧力を刷り込まれて、生きづらい人もいる。
逆に、何も考えなくても良いって理由で教育されたまま育って、何の疑問も感じず社会生活を送れてる人も居る。と言うか、大半が後者だと思う。
私は前者に当てはまる人間なので、ずっと疑問だらけで生きてきた。
他人の目線で生きてる人が多いな、と長年生きてきて思う。
私も無理して他人に合わせてたことが何年かはある。
その間、他人にも他人に合わせるように言ってしまったり、他人の目線が気にならない(気にしない)なんて寧ろ頭大丈夫かな?と思ってた節がある位。
でも、今はそんな自分の考えは納得出来ない。
そもそも、自分がこの世に産まれて来て、自分の人生を歩んで、自分の時間を過ごしてるのに、何故他人に過剰に合わせたり、他人の目線ばかり気にしたりして生きていかなきゃいけないんだろう。
他人は自分の服装ですら翌日には覚えてないよね(笑)
なのに、他人の世界観で生きるような考え方はとてつもなく疑問に思う。
すごく大規模なことを箇条書きで書くと、下記のようになる。
他人基準で物事を考え、行動する
↓
結果、自分はこんなはずじゃなかったと不満が募る
満たされない状態
↓
しかし、自分の考えは特に見い出せないままなので、他人基準であることに変わりない
↓
更に不満が募る
↓
抑えきれなくなり、相手を抑圧するようになる
↓
相手が変わってくれない(構ってくれない)場合、虚しいを通り越して、逆恨みや妬み、怒りに変わる
相手に自分の言いなりになるよう、説得し続ける
↓
相手がそれでも折れない(構ってくれない)場合、犯罪や犯罪に近しいことが起こる(殺人など)
規模が国単位だと、戦争となり、何の関わりも無い国民(子供から老人まで無差別に)まで巻き込まれ、命を落とす
これってロシアVSウクライナや以前から勃発してる戦争を浮かべるよね。
私が考えてることは、大袈裟でもぶっ飛んでる訳でもなくて、実際に有り得ることだと思う。
戦争とまで行かなくても小さな揉め事になったり、その事で少なからず気に病む人も居る。
結局、精神衛生的に良くないし、自分の人生を抑圧するのは辞めようと全世界に言いたい。
それよりは、自分がどんな人生歩みたいか?何をしたいか?
そうやって自分の意志を持って生きて行けたらきっと幸せだよね。
周りに流されることなく、自分の思うままに生きていくのが、本来の人生の過ごし方なんじゃないかな。
心と体は繋がってる
この前の前の記事でうつ病の話を書いた。
その続編となると思う。
精神科に通院して16年経過したある日、突然断薬を思いついて実行した。
(しかし、絶対にお勧めはしない)
結果、通院の必要ないと判断し通院を辞めた。
断薬に慣れてきた後は体がスッキリしたような感覚にはなる。
だけど、完全にうつ病は治ってなかったと思う。
その状態で無理して通院せずに仕事してたので、また仕事を辞めて少し休むつもりがかなり長期に渡ったことがある。
完全に健康体だと思ったから仕事をしているのに、心外だった。
自分の体がなぜこんなにも言うことを訊かないのか、自分が嫌になった。
完全に仕事をせずに家にいる毎日を送った。
段々物が持てなくなったり、お手洗いまで歩いていくことが重労働に思えたりした。
ずっと寝たきり状態。外に行くことはほぼ無かった。
食事はネットスーパーで取り寄せて、自炊はほぼしないで冷凍食品をチンして1日に1食戴く。
体が弱っていくので原因をネットで調べてばかりいた。
そしてその分野を取り扱っている病院を回って歩いた。
俗にいう、ドクターショッピング。
2年弱も病院を回って歩いたのに病名は1個も付かなかった。
その間、精神科も薦められて行ったことはあるけど、精神的な病気ではないと言われた。
今思うと、うつ病の尾を引きずっているけど自分で病気とは認識していない状態。
でも、無意識的にメンタルがとても弱い状態で仕事をするなど無理をしようとして体の機能が低下したのではないかと推測する。
体を自分の思うように動かせない日々の中で考えたことは、ネットで情報を仕入れるなどの操作はできるので、姿勢は寝たままの状態で、在宅勤務かつ簡単な仕事なら出来そうと思っていた。
今考えたら在宅だろうが通勤だろうがやることは変わらないので考えが甘かったとは思う。
この状態から脱することが出来たのは、自分で今出来る軽い運動から始めて、吸っていた煙草も辞めて、段々と体調を戻していった結果、仕事ができるようになるまで回復した。
つまりは心と体は繋がっているということが言いたい。
ダメな自分でも良いよーって認めない状態で、無理して仕事してハードワークで体に「働けよ(怒)」と鞭を打っても言うことを訊くわけがない。
私は人より感覚が敏感だからなのか、鞭を打ってそれに耐えられる体ではない。
結果的に何をしたら良かったか?
2年弱のドクターショッピングは大変だったけど、病院を回るよりはじっと家にいてうつ病だと認めて静養してたら良かった。
精神的に余裕がなかったから、病気を疑ってネットで調べることばかり考えていて、常に切迫していた。
外に出て日の光を浴びるとか自然を楽しむとかコーヒーの香りを楽しむとか、今出来ていることが当時は全く出来ていなかった。
どんな状況であれ、本人は苦しくても、そのままの状態で良いんだと思う。
この瞬間に困っていることはほぼ無い。
今この瞬間に心臓が止まる可能性は極めて低い。
お金がないと家賃、光熱費、食費に困るということはあるけど、確保されている状態なら無理に働かなくても良いと思う。
病気であるなら心の病気も体の病気も素直に認めて、静養が必要なら無理に仕事せず休むことが重要だと思っている。
これからももし体の状態が悪くなるようなことがあれば無理せず生きていきたい。
YouTube初投稿
ずっとやりたかったYouTubeを始めた。
コンセプトは寝たきりで外に行きたくても行けない人に景色を見せたい!という想い。
自分の経験上、寝たきりだと家の風景ばかりで嫌になる。
だから外の景色を見たいと思う。
今現在、健康体である自分が、地球上の自然が好きで特にこの季節はよく出かけるので、vlog形式で動画として提供をしたかった。
今日自転車で出かけたんだけど、これはもともとデリバリースタッフとして働こうと思って仕事道具として買った電動クロス自転車。
↓
BRIDGESTONEのTB1e。とてもスムーズに素早く走れる。
アシストしてくれるので、スイスイ漕ぐことが出来る。
電動の電源部分。
後ろから見た状態。
YouTubeの動画は以下をクリックすると見れます。
↓
あと、このブログのプロフィールも編集しました。
↓
このブログもYouTubeもメッセージ性をもって発信していこうと思っているので、
もしよろしければ覗いて下さるととても嬉しいです。
うつ病を体験して想うこと
原因は当時の職場の環境が悪くてメンタルを病んでしまったことがきっかけだったけど、もともと家庭環境も良くなかったから少し傷ついただけで重いうつ病にまでなった。
体重はかなり減少したし、食欲減退したし、不眠で精神科のお薬のお世話になりっぱなしだった。
でも仕事は週5回、1日8時間働いてた。時には1日2-3時間は早出したり残業や休日出勤もした。
今ではあり得ないけど、当時はそれがむしろ当然だと思った。
それでも同じ職場の先輩にあたる方から「仕事きちんとやってるの?」「もっとちゃんとして」など責められるような言葉を毎日聞かされた。
だから私も「努力が足りないんだ」「もっと頑張らなきゃ」「怒られないようにしなきゃ」と自分を責め続けて、人の何倍も仕事をした。(もちろん給与は一人分)
精神科の薬を飲みながらの仕事は長くは続かなかった。
もともと原因となっていた仕事はやめた。
職場を変えればうつ病が改善すると思っていた私は重度のうつ病なのに次の仕事をすぐに探し始めた。
正社員でそこそこの給料がもらえて、親に迷惑が掛からないように独り立ちできるように…早く…仕事を探さなきゃと足しげくハローワークに通った。
でもハローワークに通い始めて失業保険をもらい終わっても仕事は決まらなかった。
母親からはキレられて「バイトでも何でも良いから働いて家にお金入れて頂戴!」と責められる日々。
父親からは「働く気無いんでしょ」と呆れられる始末。
結局、私は短時間バイトをした時期はあったけど、そのまま5年以上もまともに仕事が出来なかった。
今になって思うのは、自分を大切にしていなかった。
それと精神科の薬に依存し過ぎた。
寛解に近くなり始めて思ったのは、精神科の薬は後々毒になるということ。
16年ぐらいはまともに精神科に通ってたけど、薬の依存性に疑問を持ったので、通院の意味がないと思い、通うことを辞めた。
薬が起因しているのかは不明だが、私はその後全身麻酔の手術を2回体験することになる。
私はその生活から抜け出してよかったと思う。
大切にするべきことは、
今この瞬間困っていることはあるか?を自分に聞いてみること。
大抵困ってない。
息することに困ってない、よほどの環境でない限り寝る場所に困ってない、家があって水が飲めて電気つけて部屋に居られる。
今この瞬間に隕石が頭の上に落ちてくる心配はない、もし病気だとしても今この瞬間は心臓は動いてくれている。
それに今悩むことが出来ることは、明日に回したって良い。明後日に伸ばしても良い。焦る必要なんてないと思う。
確かに人生の時間を考えると意外と短いけど、何回も生まれ変わるだろうと考えると永遠に時間はある。急がば回れということわざもある。
うつ病になる人はまじめな人が多いと聞く。
私も生真面目でつまんないと言われるタイプの人間。
それに完璧主義。
特に日本人は一回ミスしたらそれを許さない風潮が強い。
ミスした方の人間は罪悪感にとらわれ、努力を迫られる。
今考えるとミスしない人間なんて皆無だし100%完璧でいるなんて無理。
仕事(学生さんは学校)は余程好きな仕事じゃなかったらいつかサボりたくなるし、たまに半年に一回ぐらいは良いんじゃないでしょうか。
という風に考えられるぐらい今は緩く考えてる。
自分の見方はいつだって自分。どんな時も寛容に。
合言葉は「いいじゃな~い」
そして周りにも優しく。
そしてそれが広まったら段々と平和になって戦争もなくなるんじゃないでしょうか。
人生楽に生きても良いよね?
初めての記事がこんな内容(苦笑)
今現在、人生においてこうしなければいけないルールがあると思う。
学校を一通り卒業したら大企業に就職して、安定した生活を送る。
そのうち、良い人を見つけて結婚して子供を産んで幸せな家庭を築く。
子供が大きくなって巣立って行ったら、夫婦仲良く老後まで働いて、老後になったら働かずに慎ましく暮らす。
私は世間一般的なそのレールからはかなりかけ離れた道を辿ってきている。
だから特に同調圧力の強い日本人の中に埋もれて暮らすのは、なかなか至難の業である。
でも、英語が達者な訳でもないし、大企業には努めてはいるけど平社員なので大きく生活を変えることはできない。
誰が決めたかは分からないけど、王道のレールに乗らないと幸せになれないというのは人によっては間違っているという認識になると思う。
それに、突然病気になったら?突然車の事故などで障害者になったら?突然収入が途絶えてホームレスになったら?どうするか、この国では放置されていると思う。
病気や障碍者やホームレスになるのはあくまで自己責任なので、のたれ死んで欲しいとも言われているような感覚がある。
確かに好きで働いていないような人もいるにはいるけども、そうではない人においては大半見放されている。
では、そういう風に見放されることが怖いので、世間一般的な社会のレールに乗るしかないのだろうか。
就職して収入は安定しているはずなのに、心の貧しさが露呈されている社会人がありふれ過ぎていると思う。
だったら、最初から好きなことをしたらよいのに、とは思う。
普通だったら大企業の社員でくいっぱぐれる心配も無いのであれば、仕事のために生きていけばそれで死ぬまで問題なく暮らせそう。
でも私は本当に抜け出したい。やりたくもないことをして、不機嫌な上司のご機嫌取りをして、周りに合わせて我慢して8時間過ごす。
人生ここまで来るのにもかなり苦労してきた。
今の状況から抜け出したいというよりは、どんなに苦労しても、何とか生きてはいけるということをこれから伝えていきたい。