転職活動について
ここ数日転職活動をしてた。
ギリギリになってからじゃないと動けなかったので、反省している。
お盆もはさんだので、なかなか進まず心は焦るばかり。
何とか9月から新しい仕事に就けることになったので、一安心。
私はこれまで正社員として働いてたんだけど、ノルマがきつすぎて、別の仕事で自分のスキルを活かして働いた方が良いだろうと思って退職に至った。
そこで派遣社員としてお仕事を探した。正社員はもうこりごり。
派遣会社には何社も登録したが、私が現在正社員の有給消化中と伝えると「あ、そうなんですか!」と多少驚かれる。
派遣会社に登録をする人って前職がパート、アルバイト、派遣社員が多いのだろうか…。
今日やっと転職先は決まったけど(9月から勤務希望なのに、本当に有難い!)
他にも一次選考が通ったデータ入力の在宅勤務のお仕事もあった。
でもそこから二次選考、三次選考とあるようだったので、これ以上待てないし、決まったお仕事の内容の方が魅力的だったから断ってしまった。
あと他では短期のコールセンターのお仕事だったけど決まりかけて断った、、、。
この先、引っ越しとかで仕事を辞めるときに転職すると思うんだけど、その時って1社ずつエントリーしたら良いの??
今回は正直、エントリーするより、面談するより、断る方がきつかった。
これまでは転職時に1社ずつしか受けてこなかった。大体その会社で決まってたから特に焦りはしなかった。
最近の派遣って三次選考まである仕事もあるので焦る。
エントリーしてから働き始めるまでに1ヶ月以上かかるので、生活の不安も出てくる。
今度転職する時には貯金を多めにしてから退職しようと思う。
3か月分ぐらいは欲しいところ。
しかし、正社員というのはノルマを達成しなければ、給料に見合わないから本当大変。
常に周りと競争して勝ってなくては生き残れないし、在宅だったとはいえ、毎日が殺伐としてる。
毎日殺伐してても給料が良いからそれで生活に支障はないし、精神的にも問題が無いというのであれば働き続けられると思う。
だけど、私は根がマイペースで必要最低限の生活費があって、たまにLive行けたり、気晴らしに外食できたりカフェ行けたり出来ていればそれで良いから、ガツガツ稼ぐ必要すらない。
「働き続けなければ家族を養えない」という人もいるだろうから、みんながみんな必要最低限の生活費だけ稼げばいいという訳ではないだろうけど。
今後はゆったり遠方に引っ越すことを目的として貯金して、マイペースに働き続けたいと思う。
心の豊かさとは
私は以前まで豊かさ=経済的に恵まれている人、とばかり思っていた。
確かにそれは間違いではないし、お金が無いと生きていけないのは事実。
必要最低限の生活費が保障されているにも関わらず、それ以上稼ごうとすることにばかり頭が回り
結果、仕事ばかりの日々になり、精神的に余裕が持てなくなるのは豊かと言えるのだろうか。
そういうことはずいぶん前から考えていた。
だけど、いざ自分の立場になると本当に必要最低限以上の生活を求めてたんだってことに気づかない。
退職して失ってはじめて気づく。
今私自身が1ヶ月の生活に必要な金額は幾らだろう?
恐らく10万ぐらいである(税金は除く)
地方の一人暮らしで1DK、1日2食+お菓子、
最近の休日の過ごし方:自転車でカフェ、ごはん屋さん巡り、神社巡り
本当にお金を使わない生活を送っている。
先日、イオンに行って本屋やらカフェやら洋服屋さんやら色んなものを見て回ったけど
カフェでしかお金を使わなかった。
以前なら何か買っていたと思うけど、見てるだけで満足してしまったので何も必要なかった。
そもそも家にモノを増やしたくないので、安易に買い物をしたくない。
断捨離の時に大変になるから。
でもたまの旅行も好きなので、使うときは何万も使う。
普段はお財布の紐をキュッと締めておくようにしている。
幾ら経済的に豊かになっても、支出が多すぎるのでは、精神的に余裕が持てなくなると思うし
経済的に恵まれていなくても、支出を減らすことで、精神的な余裕が生まれると思う。
人生は仕事のためだけにある訳ではないので、重労働をするぐらいなら支出を減らして慎ましく暮らした方が私は気が楽になる。
だから今後も収入に見合った生活、慎ましい生活を続けるであろう。
それが心の豊かさに繋がれば良いと思っている。
物欲に支配されてそのために労働を自分に強要していると、いつまでも心が落ち着かないよね。
メディア内の広告とやらが多すぎて、物欲に支配され過ぎているよ、現代人。
テレビの情報は嘘ばかりだし、洗脳され過ぎているよ、日本人。
折角あくせく働いて得た収入は物欲によってなくなるし、メディアが本当のことを言わないから添加物まみれの食生活を強いられていることになるんだよね。
ブログに載せて良いか迷う内容だけど、気づいている人は気づいているよね。
日本人のみならず世界中の人々に平和が訪れることを祈るばかり。
(自分含め…ね)
自分がご機嫌になるための行動
普段は仕事に追われて会社や上司の言うことを聞き、その通りに行動している。
自分の個性なんて出せやしないしストレスばかりたまる。
そんな世の中で暮らしているので、自分なりに自分の機嫌を取れる行動とは何か?を考えてみた。
発信活動
私はこのあたりのことに着手している。
でもスタエフについては話をする内容なのか、歌ってみたの内容にするかを悩んでいてなかなかアカウントの開設すらできていない。
www.youtube.comこちらは気が向いたときに撮り溜めていたものを編集して更新している。
YouTuberになれたら良いなと憧れはあるけど、毎日毎日編集しなくてはいけないというイメージがあるからあくまで趣味の範囲内で嗜んでやっている。
ブログ
当blog。こちらも好きに情報を発信している。
長文になりそうな時や何か物を申したいときは、このblogに書いている。
スピード感をもって外出時の写真や動画をupしたい時はこちらで発信している。
インスタはタグで検索できたりするから情報も得やすい。
ココナラ
coconala.com自分の経験が役に立てばと思って電話相談を始めた。今のところ1件も売り上げは無い。
最近は常に対応可能な状態にしている。
だけどまた仕事が決まれば休みの前日しかできなくなるかもしれない。
Stand fm
前途したように最近気になっているサービス。
動画だと画面を見なくてはいけないけど、ラジオ感覚のものだと何かしながら聞くことが出来る。
忙しい現代人にはぴったりなサービスではなかろうかと。
本当はVoicyが良いのではないかとも思ったが、YouTubeも趣味程度にしかやっていない人間が申し込みをしたところできっと相手にしてもらえない。
発信活動はこんなところ。
音楽に触れる
Liveで生の音楽に触れる
音楽って良い。聴いてるだけで癒される。
最近は私はなぜか多忙でじっくりとは聴いてないけど、たまにじっくりと聴いて癒される時間が欲しい。
幼いころから何かしらの音楽を聴いて育ってきたので、無くてはならない存在。
主にJ-POPを中心に聴いて育ったが、中学の頃に周りの影響でV系にハマる。
今ではたまにJAZZっぽいのも聴くしClassicalなものも聴くけど、詳しい知識はほぼ無い。
ふら~♪と聴いたりLive行ったりするのが好き。
美味しいものを味わう
- 海鮮
- 地ビール
- 寿司
- ケーキ
- 十割そば
- カフェインレスコーヒー
などなど。
最近、ドトールでカフェインレスのコーヒーを販売していることを知った。
コーヒーは好きだけどカフェインは利尿作用があったり眠れなくなったりするので、出来るだけ控えたい。
本当に助かる。
日本人ならば海鮮や寿司は欠かせないねー。
お蕎麦も!
新鮮な海の幸と共に地ビールなんて飲んだりしたら幸せ過ぎて倒れそう(笑)
もうそれだけで何日間かは仕事頑張れそうになる。
自分をご機嫌にするのは多少お金かかるけど、一般的な女性に比べたら美容室、ネイル、エステなどなどに時間を割いてないので節約になっているのかも。
あとショッピングにしても歩き疲れるだけなので、よほど必要な洋服がある時にサクッと買いに行く以外の目的ではダラダラと買い物はしない。
洋服を増やしたくないのでちょうどいい。
自分に取って心地の良いことは人それぞれ。
これからも心地のいいこと探しをしていきたい。
ストレスが及ぼす体への悪影響
仕事のストレスというものは本当に恐ろしいものですね。
今ちょうど無職期間を堪能しているので、ストレスが蓄積されていた日々のことを振り返ってみます。
悪影響 その1:過敏性腸症候群
恐らくストレスからなのかもしれないが、私は幼いころから胃腸が弱かった。
腸が悪いとメンタルへ影響するけど、逆も然りでメンタルが悪くても腸の動きが悪くなる。
加えて過度なストレスがかかると胃も痛くなる。
過去に勤めた職場では中間管理職な立場が多くて上からの意見と下からの意見に押しつぶされていたから、会社に潰されないようにしてきたけどそれでもストレスは無意識にたまる。
長年組織で働いてきてとことん向いてない(というか敏感すぎる)んだと思うけど、究極に腸の調子が悪くなっていっている。
これは永遠に自分との闘いであるように思う。
悪影響 その2:ほぼ毎日の飲酒(休刊日知らず)
仕事終わりの一杯は、お酒が嫌いな人でない限りは良いものだと思うけど、体には悪影響。
それが癖になって毎日のように仕事終わりに「ぷはーっ」ってやってたら、それは胃腸の悪さに拍車をかけてしまう。
病気になるのも嫌だし、かと言ってやめられないし…。
それで次のように考えた。
「仕事のため"だけ"に生きているわけではない!」
仕事のためにストレスをためて、仕事のために自分の精神を削って、それで確かに給料はもらえているけど、そういう働き方でないと必ずしも給料は貰えないだろうか。
しかも必ずしも一か所から給料をもらわないといけないだろうか。
副業をしているので収益化できるまで頑張るという方法もある。
Uber EATSやWoltに登録しているのでいつでもデリバリーのバイトはできる。
それが嫌なら日払いバイトもあるし、一時的だけど不用品をメルカリで売って収入を得ることも出来る。
もともとこのようには考えてたけど、改めて再認識した。
私は退職という手段を取って方向転換をした。
世の中には我慢して会社の言うことを訊いて我慢することが美徳としている人が沢山いる。
そうでないと生活できないとまで思わされている。
精神を病んでまで社畜として働いている人もいる。
私はずっと滑稽に思っていたことがある。
貧乏でもすごく幸せそうに節約生活をしている人や山奥ニートのような集落が幸せそうに暮らしている。
裕福な暮らしをしてて何不自由なく伸び伸びしているセレブもいれば、何故か心が空虚になるのか不幸そうにしている人もいる。
人にとっての貧富の差というのはあくまで主観でしかない。
だから私は少し貧乏になっても、精神的に余裕のある暮らしを選んだ。
社畜から抜け出せずに過労死手前のような人は退職代行を利用してでも絶対に会社を離れるべきだと思う。
社会の理不尽さ
まず、初めに穏やかな話を書きたい。
今日、自転車で出向いた昭和レトロなカフェに行ってきた。
ご年配の女性が一人でお店をされている。
店内は静かで音量小さくジャズが流れてた。
私は景色が見える特等席に座った。
なんかその特等席から見える窓際とその景色が、まるで亡くなった祖父母が暮らしていた一軒家から見える窓際とそこからの景色に似ていて、懐かしく感じてしまった。
感動してしまい、頼んだメニューの写真を普段なら撮るのにその動作を忘れてた。
私の後に、私と同じ年代位の女性が一人で来店して「こんにちは~」とあいさつをしている。常連さんだろうか。
ご年配の女性の方が親切に話しかけている。少しプライベートな話のようだ。
令和のこの時代ではかなり珍しい光景で切なさを感じた。
店員さんが私が頼んだケーキにスプーンを付けていたが、あとで「フォークついていなかったわね、遅かった?」と愛嬌ある笑顔で聞いてきた。
ケーキが美味しくてかなり食べ進めていたため、「あ、もう、大丈夫ですww」と答えたが、「とりあえず置いとくわね、とりあえず」と素敵な笑顔で仰った。神様みたいだった。
その店員さんが素晴らしすぎて、「その方独自の世界観をカフェそのものに託しているんだろう」「穏やかな人だな、こんな年の取り方をしたいな」と思わせてくれる一瞬だった。
もちろん、カフェなのでコーヒーも美味しい。
ホットであれば、もっとコクを感じられるんだろうけど暑かったのでアイスで頼んでしまった。それでも本当美味しい。
今度はホットで頼むためにまた訪れようと思った。行って良かったと思えるカフェでした。
*****
今日は社会の理不尽さについて発信しようと思う。
今の社会って
「できていないこと」に目を向けて、不足を埋めるように改めて教育しなおすのか?
「できていること」に目を向けて、長所を引き延ばして新たな可能性を開拓するのか?
どちらなんだろうね。あきらかに前者だよね。
そもそも「できていないこと」が生じる理由として、その人が勤めている会社ではその人自身のパフォーマンスが発揮できないんだと思う、すなわちその仕事は向いていない。
でも「できていること」もあるんだとしたら、そちらに注目したりはしないのかな。
会社での方針として、従業員全て"A"いうやり方でなくてはいけないというルールがあるとして、それ以外のルールを作ろうとしたり、"A"というルールを破ろうとしたりする人は協調性が無いとしてクビになるんだろうね。
日本だろうが海外だろうがその辺のルールはきっと変わらないと思う。
本当に生きづらい。
また、上司の性格によっては自由そうにしてキラキラしている人は潰す、叩く傾向がある。
頭ごなしに怒鳴るではなく、少しでも上司自身の仕事の仕方と合わない、または協調性が無さ過ぎるとみられる部下に対しては躊躇なく成績を盾に追い詰めたり、
上司自身の都合の悪いことは棚に上げておいて、部下の悪い点のみを指摘する。
それってどうなんだろうか。
その上司も上からの命令で部下の成績を正すために指示をされてはいるんだろうけど、
そもそも論、上司と部下の反りが合わないということがある。
そして、その上司もきっと仕事やプライベートで満たされてなくて自分を責めていることもあるんだろうとも思い、憐みの目で見てしまう。
今の世の中、大半の企業が協調性を重視することを大事にしているんだろうけど、
個性を大事にしない=多様性を無視するということは、うがったものの見方しか出来ていない頭の固い管理職がなんと多いんだろうと呆れてしまう。
特に日本は同調圧力が強すぎる人種だから、個性は殺して生きていかないといけない。
無理に個性を出そうとする人は釘なので、打たれてしまう。
この世の中で生きている人すべて本来は時間の使い方や仕事の仕方は自由なはずなのに、
仕事をしなければ収入を得られない仕組みになっていて、
仕事こそ人生そのものという捉え方をしている人があまりにも多いと思う。
そのため、仕事で成績が落ちて怒られた、詰められた場合に自己肯定感の低い人は「私はなんてダメな人間なんだ…」と自分自身をダメ人間と認識してしまう。
それってその人がダメ人間ではなく、仮にその会社のルールが間違っていたとしても、それに従わないといけない!と決めつけた管理職がダメだし、ルール自体も洗脳的であるためダメであると思う。
何も自分自身の人格まで否定しなくても…と思ってしまう。
私個人の意見だけど、人として重要なのは、
仕事がどれだけ早くできるか、または正確にこなせるか
どれだけ会社に貢献できているか、優秀な成績を残せているか
または、どれだけ親として子供の教育が出来ているか
ではなくて!
例えば花を見て「綺麗~♡」と思える感性だったり
空を見て爽快感を得たり
困った人を見て寄り添うことが出来たり
災害が起きた時には何か出来ることはないか?と考えたり
音楽を聴いて感動したり
そういったことの方が数百倍、数万倍必要だと思う。
ホームレスの方を見て「自分には関係ない」と思っている、会社では優秀な成績を収めて収入が安定している管理職の方や
災害が起こったときにも「自分は無事でよかった」「ほかの地域のことなんて、自分に直接害が無いから関係ない」と思って何もしない、生活には困っていない裕福な方々…
なんて腐るほどいると思う。
生活に困窮しないために災害に遭っても自分だけは困らないように対策をしない方が悪い、自業自得と思う人も結構いるかも知れない。
教育の環境が経済的な理由や情勢的な理由で整わなかったりするから、当事者には責任は無いし、
災害に対する事前の備えについてもある程度余裕が無いと出来ないこと。
いつ自分の身に降りかかるか分からないのに、困っている人を見て見ぬふりをすることが多すぎるよね。
まるで同じ場の空気を吸ってはいけないかのような、またはその困った人が思いやりのない人にとってはこの世に存在しないかのような認識なんだろう。
どんな人種であってもどんなに価値観の違いがあっても、無視をすることや逆に殺し合うことが正しいとは決して思えない。
自分の思い通りにならない人間を排除しようとする風潮をやめていかなければいけないんじゃないかと思う。
そのためにミジンコ並みの存在である私個人が何が出来るんだろうか、常に考えている。
様々な働き方
ここ数日、完全にメンタルが落ちてて会社を2日程休んでた。
胃がキリキリするわ、微熱あるわで尋常じゃない状態で仕事なんかしたって身にならないし、仕事の効率が上がらないことで上司に詰められるよりは断然有休を消化して休んだ方が良いと思った。
この2日間、もう今の仕事だとか正社員だとかが嫌でしょうがなくて、求人を見てぼーっとしてたりした。
今の仕事が在宅勤務なので、同じく在宅勤務かつ今より給料が良いところ…と探したけど、正直接客業で在宅であれば今の職場が一番給料が良いということに気づいた。
あかん、絶望や…我慢して仕事し続けるしかないのかな、もう窮屈なんだよなぁ…。
働き口は必ずしも1つだけでなくてはいけなことはないんだよね。
私は今このブログをやってるし、YouTubeやらInstagramもあるし、他にココナラで電話相談を受け付けることもやりたいとも思ってる。
全然ブログもYouTubeもInstagramもアクセスは少ないけど、上手く行けば収益化する。
まぁ…しばらくは一般社会で会社員として働くしかないんだろうなぁ。
脱サラしたい。
この2日でYouTubeを見て驚いたのは、今の時代、70代や80代でも年金が足りないという理由で働いている人もいれば、「働いていたい」という理由で働いている人もいる。
後者の方々は背筋がピーンと伸びててイキイキしててハキハキしてる。
確かに年金が少ないから、暮らしていけないからという理由で定年過ぎても働き続けるのは嫌だろうけど。
逆に「働いていたい」という理由で働いている人は尊敬する。
私は人生寄り道したり、休憩したりが多かったから、80代になっても働いていたい。
これからの時代は死ぬまで働き続けることはきっと可能になってくるんじゃないかと思う。
だからこそ、「無理せずに」「自分に優しく」ありたいなと思う。いつまでも働いていられるように。
絶望的な状況でもなんとかなった話
今回は人生絶望的な状況になっていても何とかなった話をします。
私の過去の絶望的な状況とは、
順を追って記載したけど、無職&生活保護&病気はセットだった。
生活保護を受給して借金は返すことはできないので、弁護士さんのお世話になった。
無職なのに寝たきりになった原因の疑われた病気で、体中の水分が必要と意思に言われてOS-1を飲まなくてはいけなかったり食費の節約が出来なかった。
体を思うように動かせなかったのに、病名が付かなかったことで生活保護的には病気を疑ってはいるけど病気ではないという判断となり、就労指導をされた。
勿論働けなく、毎月ケースワーカーさんが訪問する際に、面接回数0回、ハローワークへの相談回数0回など他にも複数の項目も含めてそういった形式の用紙に記載して報告しなければいけなかった。
ちなみにケースワーカーが毎月自宅に訪問するということは、かなり不正受給を疑われていたんだと思う。通常は3~4ヵ月に1回ぐらいではないかな。
疑ってた病気は「脳脊髄液減少症」または「筋痛性脳脊髄炎(名称が変わる前は慢性疲労症候群)」「線維筋痛症」。
これらの病気は診断できる医師がとてつもなく少ない。脳脊髄液減少症に至っては地元に1件あるが診断付かず。あとは静岡県の熱海にはある。他にもあるかもしれないけど、日本に数名しかいない。
でも、難病指定はされていない不思議な病気。
正確な診断を下す条件として、検査入院をしてMRI脳槽シンチという時間のかかる検査を受けなければいけなかった。
その結果、基準値を達していないと診断がつかない。
診断がつかないので、いくら病状が当てはまっても病気とはならないので、診断書も書いてもらえない。
そのため、生活保護を取り扱っている区役所側でも診断書がないことで病状はあるけど、病気を治す努力を怠っているという判断で、働けるのに働いていないということで就労指導が入る。
いつ生活費が途切れるかと思うと、夜も眠れない生活がずっと続いた。
知人からは実家に戻ったらどうか、と言われたけど、家庭環境が良くなかったので怖くて戻ることなんてできない。
実家の父親と反りが合わな過ぎて、大袈裟では無く、命の危機すら感じられる環境だった。
借金50万は、その時ハマッていた携帯ゲームに重課金していたので、出来てしまった借金だった。今考えるとつまらない承認欲求だったと思う。
前職の時にずっと返してきてたんだけど、なかなか減らなかった。
でも今年の春にやっと全額返すことが出来た。
たった50万かもしれないけど、前職の収入から考えるとなかなかつらかった。
これだけのことを経験したので、今となっては、箇条書きの最初に書いた離婚やパワハラ・モラハラについては痛くもかゆくもない。
でもその後に元旦那に他界されたことは、結構つらかった。もう離婚してるのに。
それは10年ぐらい引きずった。今はたまに結婚生活を思い出すことはあるけど絶対今の生活の方が幸せを感じる。
今は絶望的状況を脱しているので、何にもない日でも幸せ。
普通に仕事の日でも在宅勤務なので、通勤している時よりのんびり時間を過ごせるし、上司やお客様に文句がある場合に貯めずに独り言で吐き出せることが恵まれている環境だと思える。
でも、在宅勤務なので運動不足なのにお菓子を食べる割合が増えて、たまに運動しなければいけないという危機感はある(苦笑)
今はひたすら日々を楽しんでいる。
「生きたい」とさえ思っていれば、人生なんとかなるもの。
それを強調して伝えたい。